2008年 09月 26日
国旗掲揚啓発の街宣活動
【渉外広報委員会 廣部 賀紀】


これからその成功のためのアイディアが話し合われるでしょう。
そんなアイディアあったら自分とこのお宮で実行してますよね(^^;)
アイディアぐらいで呼べるような簡単なもんじゃないと思うのですが。
重要な役目についている人たちは神宮に来さえすれば良いんだよ、
信仰心うんぬんはどうでもいいんだよ、と思っているとは考えませんか?
じゃなきゃ数にこだわるこんな考え出ないと思います。
まず一人でも信仰心を持つ人を増やす努力をしなきゃいけない気がするのです。
各神青だけの話ではないですが、その辺はほったらかしで
政治とか外交問題ばかりに取り組む青年会はどうなんでしょう。
そのうえ、はっきりいって今の神青や神政連が行おうと
していることは戦前の国主導の神道とどこが違うのでしょう?
おそらく有事になったら積極的に戦地に赴かせて、少しでも
疑問を挟もうとするなら非国民扱いするような恐れを感じています。
そんな組織に神道青年会、また神社界上層は成り果ててしまったのではないでしょうか。

今一番に重要なことは、人々にもっと信仰への目を向けてもらうことです。
それもままならないのに、やれ国旗掲揚だ、皇室の尊厳だ、
外交問題だなんて、いかがなものでしょうか。
別にそれらの問題を軽くみているわけではありません。
神職として根本を履き違えているのではないかと申し上げたいのです。
神宮大麻の問題なども含め、あくまですべては目的ではなく、
結果として生じるべきではないでしょうかと思います。
今、神社界から人々の心に敬神の大切さを訴えることができなければ、
何十年後かの神社の有様は惨々たるものでしょう。
長文失礼しました。
福井県神道青年会の渉外広報委員長、また、神道青年全国協議会の理事をさせて頂いている宮川と申します。
この度のご指摘、ありがとうございます。真摯に受け止めさせて頂きたいと思います。
ただ、1点誤解があるようですので、それだけは指摘をさせて頂きたいと思います。
私たちは神社への信仰心をもっていただきたい!1人でも多くの人に神社にお参りに来て手を合わせていただきたい!その思いを強くもっております。
それをおざなりにして、様々な活動を行っているわけではありません。
その環境を守るために、時に政治的にうつる活動も実施をしている次第です。
全てを結果論で言うことは簡単です。
しかし、私たちの目前にある結果には、先人のたゆまない努力があります。敬神の大切さだけではなく、子や孫が日本人として当たり前のように神を敬う心をもってもらえるよう今後も努力して参りたいと考えております。
決して子や孫に無責任にならぬよう。

私のほうも神青会の方針についての理解に幾分誤りがあったと思います。
その点、お詫びいたします。
しかし、現在の様子を見ていて、神社界の先行きのなさは否定できません。
内部の事としてですが、神道の祭事は大半が年々これと
いって大きな変更が行われることはないと思います。
つまり年間を通じて神社ではほぼ同じことが毎年行われているということです。
毎年毎年のことであれば、それが去年よりは今年、今年
よりは来年と、段々と深まっていって良いのではないか、
深まっていくはずなのではないか、と思うのです。

神事に関することは年々薄く浅く、省略され、
形だけになりつつあるのではないでしょうか。
江戸末期や明治の頃から比較しても、とても神道が発展的な状況であるとは思えません。
思想的な面だけでなく、はっきりいっていろいろな面で退化しています。
それが本当に先人のたゆまぬ努力を受け継いで次代に繋いで
いるなどと言えるのは、むしろ傲慢にすら思えます。
神社界の先行きのなさを嘆いておられるようですが、ヤップさんご自身はいかがなのでしょうか?
その事に対して、何らかの措置は講じておられるのでしょうか?
もしよろしければそれをお教え頂ければ幸いです。
先人のたゆまぬ努力を受け継ぐ。
これは大変なことだと思います。なぜなら我々を取り巻く社会環境は目まぐるしく変化し、そこに生活する人々の価値観も大きく変わっています。
傲慢といわれようが、その時代に、皆で議論し、皆で正しいと判断したことを一生懸命やる。これが大切なことだと思います。
神青会、神社界のことを思うのであれば、そのお考えを名前を名乗り堂々と仰っていただけることを期待いたします。

座談会等のご活躍、同じ神職として本当に励みになります。
ご返答を頂きながら、お返事が遅れてしまいどうもすみませんでした。
私は神道青年会の一員であり、個々の活動内容の重さについて
自分なりに理解して活動に参加していると思っています。
それゆえ先のご回答にはまったく異論の余地は無い、というのがわたしの感想です。
もし私が逆の立場でしたらそう返答するだろう思います。
私は貴神青会を含め神社界とはやや異なる場所に立っているというのを自覚しています。

忠実であるのだ、と思っています。(多分そうだと思うのですが)
私は神社界の中で霊的な事、神的な事柄が次第次第に
どうでもいい話題になっていることに危機感を感じています。
例えば平田篤胤翁にあっては神や霊の世界を知りたい、という非常に強い探求心が
魂を捉えていたことが「霊能真柱」を完成させたことが窺えます。
寅吉という山師とも取れない児童を手元に置いたのも、その強い気持ち故だと思います。

向ける熱意が、神職の中でまったく失われているように思える
のに、それが議題にも上らないのが物凄く異常に思えるのです。
私はごく身近な範囲ですが、祭典の意義や自然についての
理解を深める話し合いの機会を設けています。
組織として政治に関わることを第一とすることに疑問抱いた私は、神職としての根本に立ち返ろうと考えました。
八百万の神が宿る自然について語る神職ですので、まず自然に
ついての認識を深めようと、そして各祭典の意義について深く
体験しようと。

それには神職自身が自然について学ぶことと、そして信仰体験を
深めていなければいけないと思ったからです。
といっても、私には先人の熱意のいくばくかも実行できている自信がありません。 ただ自分が正しいと感じたことを周りの意見を伺いながら進めるしかないという点では私も同じです。
われわれ神職としては今は神道にのみかかわるべきなのではないでしょうか?
自然に神は宿るといいながら、環境問題への提言も完全に出遅れました。
政治活動も本来神社で行われていることとは程遠いことです。
神道自体が自然や神に興味を失っている証拠のように思えるのです。
今回頂戴している様々な話は、聖の部分と俗(これが相応しい言い方かは別として・・)の部分に分けて話をしなければならないと思います。
本来、神職はヤップさんが仰るように、信仰や教義といった聖の部分だけを忠実に行えることが理想なのかもしれません。
しかし、今の世情、果たしてそれだけで良いでしょうか?
様々な提出(申請)書類にはじまり、昔ながらの「和」の感覚だけでは話がまとまらない地域のコミュニティー、日本の伝統文化を破壊しようとする、左派の諸々の政治活動。。。
私は、こういったものに対して、しっかりと防波堤を築くことや対峙していくこと、そして神社運営を健全に行っていくといったような俗の部分も、聖なる部分を護るためには避けて通れない道であると認識しています。
このチベットの問題にしても「祈り」だけで解決する話でしょうか?
ダライラマも現状を打開しようと、祈りを捧げつつ、世界を駆け巡り現状を訴えています。残念ながら中国の圧力に負けてその声が届いているとは言いかねますが。。。
今やこの話は、対岸の火事ではありません。
このような事態を未然に防ぐために、そして本来神社で行われてきたことを護るために、もっともっと積極的に活動すべきであると考えます。