2007年 09月 29日
千歳飴
文政8年(1825年)に刊行された柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の『還魂紙料(かんこんしりょう)』に千歳飴の成り立ちが記されているそうです。
「元禄宝永のころ、江戸浅草に七兵衛といふ飴売あり。
その飴の名を千年飴、また寿命糖ともいふ。
今俗に長袋といふ飴に千歳飴と書くこと、かの七兵衛に起れり。」
今から約300年前、「生類憐れみの令」で有名な5代将軍・徳川綱吉の頃、浅草寺の門前で飴売りをしていた七兵衛さんが、「千歳飴(せんざいあめ)」と書いた飴を売り出したのが始まり。
現在は「千歳飴(ちとせあめ)」と読んでいますが、もともとは「千年飴(せんねんあめ)とか「千歳飴(せんざいあめ)」と言っていたんですね。
飴は江戸時代の庶民の代表的なお菓子で、「金太郎飴」や「べっ甲飴」など種類も豊富にあったようです。
また、誰が決めたのかは定かではありませんが、「千歳飴」の大きさは直径15mm以内・長さ1m以内と規定があるようで、細長い形で長寿願い、おめでたい紅白で着色し、袋には縁起の良い松竹梅が描かれています。

江戸時代の飴売り風景(左上の人物)
『七五三 江戸で争ふ 肩車』・・・江戸時代の川柳です
【渉外広報委員 渡辺 英朗】